感動作品を多く輩出。『父の気持ち』の酒井靖之監督に作品作りや演出法への想いを伺った

ジーンシアターで配信している短編映画について

──ジーンシアターで配信している『父の気持ち』について伺います。この作品、5分に満たないのですが内容が濃い感動作品ですね。演出ではどのようなことに気を使いましたか?

世の中には「父」をテーマにした作品が少ないですよね。40~50代のお父さんたちはとても大変で、仕事では若い頃は許されたものがそうでなくなった中で成果を出さないといけなかったり、家庭では存在感を示したいのに居場所がなかったりして。そういった男性の内面にフォーカスした作品を撮りたいと思っていました。
「父」を題材にすると父親のセリフは少なくなりがちです。父親は母親と違ってあまりしゃべらないので、セリフがほとんどないわけです。セリフが少ないと父の気持ちを表に出しづらくなるので、父親の表情を撮ることに一番こだわりました。父親役の俳優さんには何回もリテイクをさせてもらって。
私は作品をつくるときはいつも、視聴者の想像力を借りるような演出をしています。何でも説明して、何でもセリフにしてしまったらダメだと思っています。『父の気持ち』でもお父さんの心情を表に出すには、やっぱり俳優さんの演技力が重要で、表情で父の気持ちをどう表すか苦心しました。

──父親役の役者(佐藤旭さん)が、娘が家を出て帰ってきた時に「ふざけるんじゃない」というシーンが特に好きです。演技指導はどうなさっているのでしょうか?

私は本読みをすごく大事にしています。私が師とあおぐ、芝居の演出家はセリフ一行に何時間もかけて稽古する人でしたから、その影響で。
例えば「の」だったり、「ん」だったり、言い方はいろいろありますが、その登場人物に本当にしっくりくる言い回しかどうかに一番気を遣います。このお父さんだったらどういうしゃべり方をするのかとか、リアリティを追求します。
ドラマでしか聞かないセリフってあるじゃないですか。僕はそれが嫌で、いつもザ・リアルを追求しています。そうじゃないと見る人が共感できない。脚本を書く時は「このセリフは本当にその人が言うセリフか」に気をつけていますし、本読みのときに役者さんに読んでもらって「なんかおかしい」と感じたらその場で訂正します。あとは現場で表情や気持ちの変化とか、スピードとか、かなり細かく指示します。役者さんのやりたいように任せるというのは今までやったことがないです。
最近は、特にテレビだと「やりたいようにやってみて」という傾向があるようですけど、私にはちょっと考えられない。主役じゃない俳優さんにも、子役にも言いますし、役者さんに何も言わないというのは絶対にないです。撮影もそうですけど、照明の位置も、全部細かく指示します。100パーセント自分のイメージどおりにしないと、自分の監督作品にはならないと思っています。

──監督の中には「役者の個性を引き出したくて好きに演じさせる」という人もいるようですが、酒井監督は違うのですね。

役者さんに個性を出してもらいたいとは思っています。個性を殺すつもりはないんです。そうではなく、セリフのテンポとか間の取り方とか、人間が笑う時や感動できる時って0.1秒レベルの、本当に細かいタイミングで変わってくるのです。
お笑いだとわかりやすいですが、芸人さんの間の取り方やツッコミの入れ方は普通の人のやり方と違って早かったり、逆に遅かったりします。そうすることで驚きが先にきて、そこから笑いが生まれるのです。感動を生み出すにはそういうセリフの間やテンポが大事で、セリフが生きるか死ぬかは俳優さんの言いかたで決まると思っています。
そのあたりは芝居なら演出家、映画なら監督がしっかり見ないといけない。せっかく良いセリフなのに、間の取り方が今一つだと感動できないし、テンポが悪いと観ている人を引き込めない。だから「もっと話すスピードを速めて」「間を縮めてほしい」など、細かい指示を出します。

──こだわって指示を出すとなるとテイク数も多くなりますか?

テイク数は多くなることがあります。
例えば、『父はロックンローラー』という作品で、お父さんが大学生の息子からの電話で「ありがとう」という言葉をもらうシーンを演出したのですが、この父子は母親をすでに亡くして二人暮らしなのですね。いくら父子家庭といっても、普通に生活していて年頃の息子が父親に「お父さんありがとう」なんて言わないじゃないですか。それをいきなり言われた時の、父親が「えっ」という表情を浮かべるところから、亡き妻の写真を振り返ってガッツポーズを取るまでのシーンはテイク40くらい撮り、結局3時間くらいかかりました。そのくらいこだわることもあります。こだわらないと演出じゃないと思っているので。中途半端なOKを出したら、クオリティの高い作品には仕上がらないですから。
苦労のかいあって、『父はロックンローラー』のこのシーンが素敵だったというコメントをたくさんいただきました。

──『父の気持ち』では父親はもちろん、娘や子供の心情が手に取るようにわかるのが引き込まれる要素の一つだと感じます。人物像を綿密に設定されたのでしょうか?

そうですね。僕はまず、人物像から物語を作ります。漫画でも「キャラを作ればストーリーが勝手に動き出す」とよく言われますが、同じですね。
先日も、あるドラマのシナリオを1時間ほどで仕上げましたが、その前に登場人物の背景・性格・趣味嗜好などの人物像を徹底的につくり上げます。そうすると、ありがたいことにその人物がセリフを言ってくれるんですよ。リアリティのあるセリフが頭の中に浮かんでくるのです。
例えばお父さんと娘の話だったら、僕の中でスイッチが入ると二人が勝手にやり取りを始めます。そのお父さんのディテールまで見えてきます。例えば黒い鞄を持っていて、散歩の時まで鞄を持っていっちゃうくらい真面目なサラリーマンとか。あるいは男性更年期でちょっと力を失っているとか。
そして、嫁いだけれどよく家に帰ってくる明るい元気な娘が、お父さんを外へ連れ出そうと昼間に飲みに誘うけれどお父さんは嫌がるなど、シーンが勝手に流れてきます。キャラクターが生きていると、自然とセリフが出てくるのです。
頭の中にすでにできあがった人物が話してくれるから、考えたセリフを書いたことがなくて。僕の場合はそうですね。

短編映画紹介

『父の気持ち』(4分26秒)の視聴はこちらをクリック >> 父の気持ち

ストーリー

「私、離婚しました」
「少しの間だけ、子供を預かってください」
「なにを今さら…ふざけるんじゃない!」
高校生で妊娠し、両親の反対を押し切って家を飛び出した娘が、シングルマザーになって帰ってきた。住む場所と仕事を探す間だけ子供を預かってほしいと頭を下げられ、渋々孫を預かることにした父親。だが母親が亡くなった時すら連絡ひとつよこさず、家族を捨てたも同然の娘のことを、父親は許すことができなかった。
しかし母親と一緒に暮らせない寂しさを押し殺して明るく振る舞う孫と過ごすうち、頑なだった彼の心にもいつしか変化が現れはじめ…。

短編でも感動作品に仕上がる秘訣とは

──『約束のサッカーボール』はさらに短く、3分を切る作品です。この短さで、2つの時代を描き感動できる作品になっていて大変驚きました。超短編を感動作品に仕上げる演出の秘訣について伺えますか?

短い尺で感動に持っていけるかどうかは、常に挑戦しているテーマです。
尺が短いと説明の余裕はないので、『約束のサッカーボール』では少年ケンタ君が何を考えているのかをわかりやすく見せなきゃいけない。作品の冒頭に、お母さんが「ケンタも早く退院しようね」と言い、窓の外には病気が治って退院していく子どもが見えるシーンがあります。10秒に満たない中で、ケンタ君の置かれている状況と心情を全部視聴者に想像してもらうという、僕としてはかなりのチャレンジでした。ケンタ君のセリフはほとんどない中で、彼の表情でどこまで見せるか。
また、お母さん役がすごく演技が上手な方で。僕が舞台を拝見して直接出演を打診した女優さんなのですが、担当医の先生が手術前にお母さんに対して「できるだけのことはさせていただきます」と言ったあとのお母さんの表情は本当に見事だと思いました。
大事な場面でどういう表情をするかはリアリティに大きく影響します。

──酒井監督の演出のコアとなっているのは「表情」ということですね。

そうですね。表情に加えて、間の取り方やテンポも大事です。生まれつきのセンスとして、良い間を取れる人と取れない人がいます。『母娘の絆』には寉岡萌希(つるおかもえき)さんという女優さんが出演していて、彼女はインディーズ映画で賞を取った方ですが、当時の彼女は女優活動を抑えていて、でも彼女の演技感が素晴らしくてどうしても出てほしいと直接打診しました。天性の演技センスは、教えてどうにかなるものではないですね。
僕はタレント養成スクールで演技を教えたことがありますが、リアリティをもってセリフを言えるかは、ある種の才能が必要です。「演じている」のと、本当に「その役になりきって言える」のが違うことは視聴者にも伝わります。リアリティのない表情やセリフだと作品にのめり込めないんですよね。
ただ、そういう役者さんは稀有な存在であり、毎回キャスティングできるとは限らない。じゃあどうすればいいかというと、僕が思っているリアリティのイメージを繰り返し役者さんに説明し、演じてもらうしかないです。

短編映画紹介

『母娘の絆』(3分00秒)の視聴はこちらをクリック >> 母娘の絆

ストーリー

父親を失ってから、女手ひとつで娘を育ててきた母親。仕事と育児の両立は決して簡単なものではなく、幼い娘に寂しい思いをさせることも多々あり、気持ちにまったく余裕を持てない日々が続いていた。
ところがそんなある日、ふと「愛する娘のためを思うなら、まずは自分が輝かなければならない」と気づいた母親は、どんなに忙しくても自分自身を疎かにすることはしないと誓いを立てる。
母と娘の強い絆、そして懸命に生きる女性の美しさを描いた感動のショートムービー。

──酒井監督の作品を見ていると「感動」を大切にされているように思います。感動にこだわる理由を教えていただけますか。

感動にこだわる理由は、感動が一番視聴者の心を動かすからです。たとえばCMでは商品の説明も大事ですが、やっぱり心が動かないと商品を応援する・購買するというアクションにつながらないですね。視聴者の心を動かすには感動が一番大きく響くと思っています。
東日本大震災が起きた時、CMのほとんどがAC(公益社団法人ACジャパン)のものになった時期がありましたよね。ACのCMは感動的な内容が多いですが、有事の時はインパクトのあるハチャメチャなCMより、例えば階段を上る重い荷物を持ったおばあちゃんに誰かが手を差し伸べるような内容の方が心に響くわけです。これを目の当たりにして、感動をドラマ化してCMにしよう、意識を切り替えていこうと思いました。被災地にも行き、そういう思いをさらに強めましたね。

映像の監督のきっかけは自主映画制作

──酒井監督のキャリアについて教えてください。

19歳のころ、つかこうへいさんの芝居を見たのがこの世界に足を踏み入れたきっかけです。最初はつかこうへいさんの弟子になりたくて事務所に電話したのですが、事務所のスタッフに「キミみたいに勘違いしている人がたくさんいる。迷惑しているんだよ、こっちは」なんて言われてしまって(笑)。
それで、マスコミ電話帳という業界関係者の連絡先をまとめた本を買い、演出家の事務所に片っ端から電話をかけていったら、ご本人が出て「お前みたいなヤツ初めてだよ。おもしろいな」と言われました。「明日から来い」と言ってもらえて、芝居の世界に演出助手として入りました。
僕の師匠となったその先生は、芝居の演出だけでなく火曜サスペンスなどのテレビドラマの監督もされていました。先生が作るインディーズ映画に僕が出演したこともあります。
先生の付き人を1年半くらいやっていましたが、それだけでは生活していけないので俳優のオーディションを受けてギャラをもらっていました。
この世界に入ったきっかけは芝居の演出助手ですが、テレビドラマの世界を垣間見るうちに映像制作の道に進んでいきました。先生からは「俳優の才能があるからその道で食っていけ」と言われましたが、僕は「嫌です。監督になりたいです」と言って。先生からは具体的に何かを教わってはいないです。具体的に教えてもらったのはお茶の淹れ方くらいで(笑)先生が演出しているのを見て盗んでいったという感じです。
先生は俳優に対しても「ワンテンポ上げろ」とか「その間だと遅い。笑えないんだ」といった指導で、具体的な説明はしないですが、セリフをいろいろと変化させることで観客の感情が変わるのが横で見ていてわかりました。

──映像の監督になったきっかけは何ですか?

自分で劇団を立ち上げ、団員も20人くらいになり、劇団の公演をこなしながら自主映画をつくったことです。当時、ちょうど自主映画が盛んになってきた時期で、自分が撮った作品が映画祭で賞をいただいたのです。受賞作品を観た映像プロデューサーが何人も会いに来てくれて「映像制作に進むつもりはないか。芝居だけじゃ食えないぞ」と言ってくれました。
それと同時期に、劇団員が急にごっそり辞めてしまうということが起きて。僕が厳しくやりすぎたのかもしれません。そのとき、倉本聰先生の脚本で作品を作っていて、倉本先生からは「北海道公演をやってほしい」と言われていたのですが、劇団員がいなくなったことで公演はボツになりました。
それもショックでしたし、何より300~500人の会場を5日間公演で満杯にできていたのに、それだけではメシが食えなかった。ずっとアルバイトをしていて、芝居だけでは結局生活できなかったのです。
映像系のプロデューサーたちが言ったように、芝居だけじゃ食えないと痛感しました。それで、映像の道に進もうと決めて東映の助監督を始めました。
助監督を1年半、テレビのドキュメンタリー番組の助監督をやらせてもらいましたが、僕は体力があったのでタイの麻薬シンジケートに潜入するルポに行ったのです。命の危険に関わる仕事ですから、誰もが断るなかで僕だけが「やりますよ」と言って。そうしたら、度胸があるヤツだと認められてさまざまな人に呼んでいただけるようになり、人脈が広がりました。
ドキュメンタリーだけでなく、深夜のバラエティ番組にも誘われるようになりました。その深夜番組では「お前の好きにやっていい」と言われたので、自分の好みでちょっとしゃれた演出をしていたら、今度は広告代理店から連絡が入って「あの番組の演出をしているのはあなたですね。感性が素晴らしいのでCMにチャレンジしてみませんか」と声をかけられ、そのCMで売れたんです。大手の広告代理店から評価されるようになり、20代の中盤くらいには月に4~5本撮っていましたね。いわゆる『売れっ子CMディレクター』というやつです(笑)。
その後、CMの実績を買われてアーティストのMVを撮るなど、仕事の幅が広がっていきました。

──CMの世界で活躍されるようになってアーツテックを設立されたのでしょうか?

そうです。それまではフリーで、僕はずっと会社というものに所属したことがありませんでした。人に恵まれたというか、自分を拾ってくれる人にめぐり会えたおかげでここまで来られました。

──酒井監督が20代の頃立ち上げた株式会社ARTS TECH、社名がとてもいいですね、ArtとTechを掛け合わせた社名ですが、Techにはどんなこだわりがあったのでしょうか?

会社を起ち上げたのはインターネット黎明期(1991年)で、これからインフォメーションテクノロジーが台頭してくるだろうと考え、体温も感じられる、芸術とテクノロジーを融合させた会社にしたい、という思いから「TECH」を入れました。
うちの会社の創業時の理念が「体温の伝わるコミュニケーション」です。映像というものを通して体温を伝えていく。人と人、あるいは人と企業を、映像を通して結びつける。そんなポリシーがあります。
また、創業当時はまだ電話帳があったので、電話帳の「あ」から始まる社名にしたかったというのもあります。僕は何でも一番が好きなので(笑)。

──CMでの実績を踏まえてアーツテックを創業されたということは、仕事の注文がなくて困るということはなかったのでしょうか?

そうですね。ありがたいことに。ただ、創業してから気づいたのですが、僕はCMディレクターなので演出パートだけの注文ばかりなのです。それには結構打ちひしがれました。
代理店からの案件にはプロデューサーたちがいて、僕はそこに監督という立場で入るだけで。創業当時は制作を丸ごと受ける案件がなく、これからどうやって仕事を取っていけばいいのかなと悩みましたね。
だから、最初はチラシを作っていろんな企業にポスティングしました。「ビデオ制作承ります」みたいなチラシをスタッフ1人あたり100枚配る、という風にして。
その後、代理店のCM演出以外で最初に受けた仕事はビデオのダビングでした。しかも500円くらいの。でも、受注できてうれしくてワインで乾杯したのを覚えています。「初めて仕事をもらった!」って。
あの喜びは忘れちゃいけないと今でも思っています。
1994年11月に創業したので、2023年は28期目に入ります。事業の多くは企業のCM制作がほとんどです。一時期、テレビ番組の制作を請け負ったこともありますが、今は自分の得意分野を活かしてCM制作に集中しています。
また、CM動画として再生回数が取れるとか、話題になるといったことにいち早く取り組んでいたのもあり、「感動CM・感動動画」は我々の大きな強みとなっています。

心が動いた作品は覚えるくらい繰り返し見る

──酒井監督が影響を受けた映画作品はありますか?

僕が教科書のように映像表現を学んで、今でも学んでいるのはスピルバーグ監督の作品です。
最近も彼の映画を見て、プロットをシーンで書き起こしていました。スピルバーグ監督の作品を観て泣かない人っていないんですよね。「どうしてスピルバーグ監督はこんなにも人の心を動かすのか?」と20代の頃から何回も見て、僕なりに解析できたと思っています。音楽の入り方や観客の裏切り方、レンズの使い方など、徹底的に研究しました。
アメリカの映画業界はハッピーエンドを望みますが、スピルバーグ監督は必ずしもそうとは限らないですね。ハッピーエンドじゃなくても魅せられる実力があるので。スピルバーグ監督の演出術については本が出せるくらい語れます。
こんなふうに、好きな映画ならDVDで何十回と繰り返し見ますが、プロ目線で見ています。構成や演技、カット割り、衣装、音楽と全部覚えてしまうくらいに。
繰り返し見た中でも一番学びがあったのは、スピルバーグ監督の『ジョーズ』です。どうすれば人間に恐怖を与えられるかがよくわかります。
あと、宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』も繰り返し見ている作品です。
役者で好きなのは松田優作さんです。演技の金字塔として歴史に名が残る方であり、松田さんの作品も繰り返し見ています。
松田さんとはお仕事でご一緒させていただいたことはないのですが、僕が若い頃アルバイトでエキストラの仕事をした時にお見かけしたことがあります。ものすごくオーラがある方で、役になりきっていてカッコ良かったですね。
本当にすごい役者さんは、私生活が想像できないですよね。いわゆる銀幕のスターはそういう存在でしたし、僕は役者ってそうあるべきではないかと思います。住んでいる家が想像できてしまうのではなくて、与えられた役になりきっていて本当の人格はわからない、というくらいの人が本当の俳優だと思うのです。

──今後はどのような活動をしていきたいですか?

企業CMの制作も大切な仕事ですが、もとは芝居や物語の演出をしてきたので、いずれは映画を撮りたいと思っています。それで成功するか失敗するかは怖いところですが、やっぱりその道でも勝負したいですね。
現在、Netflixを始め、配信サービスの運営元に自分で打診して会いに行っています。中国で『おばあちゃんの口紅』という僕のショートムービーが話題になったので、話をしに行ったら「あれを撮ったのは君か!」と驚かれて向こうが乗り気になって。今は中国の配信サービスに向けて映画の脚本を書いているところです。