『くしゃみ』『VR職場』など、短編映画作品で数多くの映画祭受賞経験を持つ高島優毅監督に、コメディ作品に対するこだわりやインディーズ業界の未来について話を伺った。

国内外の多くの映画祭で選出されたコメディ×ハードボイルド作品『くしゃみ』

──まずは『くしゃみ』について伺います。ハードボイルドコメディみたいな感じで、ちょっと変わった作風だと思いました。この作品はどういう背景でおつくりになったのでしょうか。

コロナウィルスが流行して、2020年の4月頃に緊急事態宣言が出ましたよね。100年に1回のパンデミックといった感じで、とても不安定な時期でした。コロナウイルスについて誰もよくわからず、感染したらすぐ死ぬかもしれないし、そうではないかもしれないという中で、みんなが疑心暗鬼になっている。後の時代から見ればバカらしく映るかもしれないけれども、その時はみんな必死だった当時の雰囲気みたいなものを自分の中で保存しておきたいという気持ちが出発点でした。

──コメディ要素とハードボイルド要素の掛け合わせにしたのは、何か理由があるのですか。

綺麗ごとではすまされない部分が、同時に喜劇っぽくなる状況が好きなんです。大学時代に演劇サークルに入っていて、演劇はよく見ていました。例えば劇団「大人計画」のような、ブラックコメディ要素のあるものが非常に好きでした。喜劇的な要素や人間の業みたいなものに惹かれます。

──『くしゃみ』は、全体的にセピアのような色合いですよね。かなり意識されたと思いますが、どういった意図があったのでしょうか。

現場では比較的ニュートラルな照明で撮影していましたが、カラーグレーディングの際に撮影監督からご提案を頂きました。やってみたら終末感みたいな雰囲気がよく出ていて。こういった点は技術スタッフの方から教えていただいて勉強になることが多いですね。この色合いは僕もかなり気に入っています。

──国内外の多くの映画祭で選出されていますが、特に海外の人から見て、どういう点が評価されたと思われますか。

コロナウイルスそのものが世界共通の話題になっていたことが、大きなポイントですよね。その中で、マスクを奪い合うことの面白みというか愚かさがわかってもらえたのかなと思います。コロナウィルスの影響でオンライン限定上映の形になることも多かったので、お客さんの反応等はよくわからないですが(笑)

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『くしゃみ』(8分27秒)の視聴はこちらをクリック >> 『くしゃみ』

ストーリー

「N95」…高級医療用マスク。このコロナ禍の中、それは転売ヤー達により高値で取引されていた。そしてまたここにも、コロナ禍に乗じて荒稼ぎを企てるチンピラたち。(オークションで100万円にはなるだろう…)悪い笑みを浮かべる男たち。しかし次の瞬間2人のもとへ思いがけない人物が現れ、事態は大きく動き出す…!
これは新型コロナウイルスによって崩壊した社会での物語。コロナ、医療用マスク、そしてそれをめぐる男たちの内部抗争を描いた、新しい形の極道映画だ。

発想は大胆に。ほんの少しのズレが作りだす、コメディとホラーの境界線

──『「ぬ」が無くなる日』について伺います。発想が非常に面白いと思いましたが、こういった発想はどのようにして思いついたのですか。

「ぬ」は、突っ込みどころがいろいろあるんですよ(笑)。「め」にめちゃくちゃ近いとか、ぐるっと回しただけで一つの文字づらしてるけど、なんでマイナーチェンジしかしていないんだとか、「ぬ」って実際あまり使われていないし、使われても沼とかあんまり爽やかな語感じゃないものに使われるよねとか…。他の平仮名に比べて突っ込み所が多いような気がして、普段からなんとなく気になっていたのが元になっていると思います。

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『「ぬ」が無くなる日』(8分32秒)の視聴はこちらをクリック >> 『「ぬ」が無くなる日』

ストーリー

過激派テロ組織『堕ちた堕天使』の新たなシンボルマークが、日本語の「ぬ」に酷似している…。それを受けて文部科学省内の会議室には、特別捜査班の3名が招集された。このまま奴らがテロなどの犯罪行為を続ければ、最悪「ぬ」自体がタブーになる。
日本人が「ぬ」を使えないとどうなるのか、それを問うため大学教授の瀬川が呼ばれる。しかし彼は、あまりにも単純で驚きの答えを口にする……。開始から終わりまでツッコミどころしかない、シリアス風コメディ映画。大人がまじめにふざけた結果を、お楽しみください。

──『何の情報も掴んでないけど、とりあえず突撃する週刊誌の記者』は、一転してホラー作品になっていますね。なぜホラー作品を撮ろうと思ったのでしょうか。またいつもの演出と変えた点などはありますか。

最初はコメディのつもりで書いていました。脚本を書いて、編集してという流れの中で、少しずつ、ホラーっぽい方向にしてみようかなという気持ちになりました。コメディっぽくしても、あまり伝わらないんじゃないかなと。僕自身、めちゃくちゃホラーが好きなわけではないのですが(笑)。

僕の中では、コメディとホラーはけっこう近いものなんです。例えばB級ホラーを爆笑しながら見る人もいますよね。コメディもホラーも、何かおかしいというズレを生じさせたり、何か過剰な状況をつくったりすることなので、ほんの少しのズレが、コメディとホラーの境界線になる。個人的にはそう思います。

──タイトルがとても長いですね。最近では長いタイトルは珍しいと思うのですが、どういう意図があったのでしょうか。

YouTubeで公開するという点を意識しました。YouTubeのタイトルは本でいう帯の役割に近いので、ある程度は動画の内容を説明する文章の方がいいと考えています。例えば今回の作品に映画風のタイトルをつけるとしたら、「夜道」や「記者と俳優」みたいな感じになると思いますが、それだと作品の内容がよくわからない。説明的なタイトルはネタバレにもなるので嫌がる人も多いですし、その気持ちもわかります。でもそこは、YouTubeに合わせていくべきだと思っています。

『何の情報も掴んでないけど、とりあえず突撃する週刊誌の記者』(6分50秒)の視聴はこちらをクリック >> 『何の情報も掴んでないけど、とりあえず突撃する週刊誌の記者』

多面性を持つすべての作品の根底にあるのは「怒り」

──『VR職場』について伺います。さまざまな賞を受賞して話題になった作品ですね。この作品の根底に流れるテーマはどのようなことだったのでしょうか。

綺麗な建前を立てても実態が伴っていないようなことに対する、なんていうか…正直に言うと「怒り」です。作品をつくる時、僕の中にはいつも怒りが半分あって、残り半分はその怒りの原因となっている“人間の業”みたいなものを面白がる気持ちがあります。
今回の作品では、ゲームの中でホワイトな職場を提供する企業が、そのゲーム開発をするプログラマーをブラックな職場環境に追い込むという対比を描いています。自分は会社員時代、ノー残業デーのアナウンスが響き渡る中で、ずっと終わらない残業をやっているみたいな状況を体験しました。それを思い出すと怒りも湧いてくるんですが、同時に「あの状況って遠くから眺めたら面白いんじゃないか」とも思いました。

──あえてVRを題材にしたのは、仮想空間だと現実と違う世界がつくれるという点ですか。

そうですね。現実のブラックさを際立たせるためには、その反対にある非現実が完全にホワイトな状況でなければいけないので、完全なホワイト空間をつくるにはVRという設定がいいなと思いました。ある程度未来の話をしないと設定が難しくなるという点でも、VRはちょうどよかったですね。

──作品の根底に「怒り」があるというのは驚きました。

たまに言われます。ついこの間も、他の監督さんから「どの作品を見ても、高島さんの原動力は怒りなんですね」と言われて、見抜かれているなと感じました。

──作品の根底に「怒り」があるというのは驚きました。受賞された時、審査員や観客からはどのような反響がありましたか。

いろいろですね。笑ったという人もいれば、怖かったっていう人もいる。泣いた人もいれば、よくわからなかったという人もいる。僕の作品は、よくも悪くもいつもそんな感じで、何か一つバシッと決まるようなことがないんです。

表現したいのは、抗えない欲望や感情といった「人間の業」

──演出全体について伺います。人の怖さみたいものを伝える作品が多いと感じていますが、何か意識されていることはありますか。

意識するというより、そこに自分自身の関心がありますね。凶悪犯罪のノンフィクション本などもかなり読みますし、歴史が好きで、いろいろな人の人生にとても興味があります。何もかも正しい、聖人みたいな人って実際はいないですよね。教科書では偉人とされている人でも実は不倫していたとか、人の中には光と影がある。その影の部分に憤る気持ちもあれば、反対にそれが面白いとも感じる。そういったことを、自分のフィルターを通して作品にしたいというモチベーションがあるように思います。

──先ほどからお話に出てくる「人間の業」について、もう少し詳しく教えてもらえますか。

すみません、正しい解釈かわからないですが(笑)自分の中では、”綺麗ごとではいかない部分”というイメージです。「人の不幸は蜜の味」じゃないですけど、他人の不幸を見ると人間は嬉しくなるみたいな。今の時代なんてネットの登場で特に顕著になりましたよね。何かの本で読みましたが、人間は「正義感」を振りかざしているときに、脳内で快楽物質が出るらしいです。「不倫なんて許せない!」とSNSに書き込んでいる最中に、実は快楽も感じている。そういった人間の複雑で一筋縄ではいかない部分みたいなものを、自分の中で「人間の業」と感じています。

──コロナウィルスやパパラッチなど社会で話題になっているテーマを取り上げつつ、それを一歩引いた視点で描いている印象がありますが、演出する上で意識されているのでしょうか。

前提として、常にコメディとして撮りたいと思っています。コメディは距離感がとても重要で、同じような出来事でも、近くで撮れば悲劇になるものが、カメラを引くと喜劇になるというのがあると思います。はたから見て滑稽かどうか、という視点が大切かなと。それがベストなのかわからないし、もっといい方法があるのかもしれないですけどね。常に悩みながら撮っているので、自分が成長したら、いろいろ変わってくるかもしれません。

──キャリアについて伺います。テレビ局やネット系ベンチャー企業での勤務経験がありますね。どのような仕事をされていたのでしょうか。

テレビ局ではバラエティー番組の制作ですね。その後、ネット動画系のベンチャー企業へ転職して、YouTubeの事業にも携わりました。今はフリーランスでYouTubeチャンネルの運営や制作、監修などをやっていて、そこで稼いだお金を映画制作の資金に回しています(苦笑)。

──好きな映画監督や目指している映画監督はいらっしゃいますか。

映画監督としてはいないですが、好きな作品ならいくつかあります。『セッション』や『シン・ゴジラ』、『スリー・ビルボード』などが好きですね。例えば『シン・ゴジラ』で、ゴジラが今にも暴れそうな状況なのに、役人はその対応の事務処理に忙殺されているようなシーンを、コメディー視点で捉えることもできる。それでも最終的にはなんとか解決していく、みたいなところが好きですね。一般的なドタバタコメディも好きですが、、人間の不完全さや複雑さを面白く感じられる作品が特に好きですね。

短編作品は、未来のインディーズ映画業界へ繋がるひとすじの光

──インディーズ映画について伺います。収益化できないことが多い中、インディーズ映画をつくり続けていくモチベーションというのは、どこにあるのでしょうか。

この表現がいいのかわからないですが、明日死ぬかもしれないと思うと、つくらずにはいられないってことですよね。例えば仕事をしていて、「あぁこんなくだらないことするより、もっとつくりたいものがあるのに」とか、映画館で映画を観て、自分だったらもっとこうするのにと思ったりするとか。そういう「いつかつくりたい」という気持ちがある中で、もし明日交通事故で死ぬかもしれないと思ったら、全く儲からないとしてもつくるし、今の状況でとにかくできる限りつくるしかないと思ったっていう感じですかね。

──人材や撮影場所の確保など、映画制作にはそれなりの資金が必要になります。経費を抑えるために、どういった工夫をされているのでしょうか。

工夫らしいことはあまりしていませんが、撮影以前の脚本段階で、経費を意識してブレーキをかけている部分はあります。爆破シーンを入れたいけど予算的に無理だな、レストランを貸し切るのは難しいから、ここは公園のシーンに変更しよう、みたいな感じですね。ブレーキをかけてしまうことを決して「良い工夫」だとも思ってないですが……(笑)

──インディーズ映画の未来やその展望について、高島さんのご意見をきかせてください。

難しいですね。とても一言では言い表せないですし…どんなに悩んでもうまく言葉にできない気もしますが…。
現状ではメジャーへの階段としての機能が少しあると思いますが、それとは全く別に、インディーズ映画としての経済圏があることが理想ですよね。サブカルチャー的な文脈で“インディーズ映画界”があり、そこに一定数のお客様がいて、人気が出れば食べていける状況になることがベスト。ただ実感として、それが簡単にできるとは思えない。どうすればいいのかすら、多分誰にもわからない。そもそも“インディーズ映画”という表現でいいのかという問題も含めて、あまりにも見通しが立っていないと感じています。

──今後、どのような活動をしていきたいですか。

そうですね。先が見えない中で悩みながらやっていくという前提で、今はとにかく短編作品を作り続けるのが目標です。スマホや可処分時間の問題で、今の時代は120分の映画を観る機会はどんどん減っている。
その流れの中で「見てもらうための1つの形」として短編作品の存在感が増していくのではないかという考えですね。
映画興行は、公開するまで当たるかどうかわからない、というギャンブル的な面がありますよね。だから映画監督はいつも資金繰りに頭を悩ませるし、映画監督の地位もなかなか上がらない。でもスマホやインターネットのおかげで、そういった構造を変えることも不可能ではないと感じています。それも短編作品をつくりたい大きな理由の一つです。既存の構造を変える一つの道筋になれればいいし、何十年か後に「高島さんって人が、昔こういうことやったけど失敗したんだよ」という教訓の一つでもいいから、何か残せればいいなと思います。