様々な演出でインディーズ映画を制作する鯨岡弘識監督に演出へのこだわりについて伺った

コロナ禍で生まれた作品『おどりなき夏』

──まずはジーンシアターで公開中の『おどりなき夏』から伺いたいと思います。登場人物それぞれの背景が伝わってきました。キャラクター設定は綿密にされたのでしょうか。

映画をつくるときには、まずキャラクターからつくるようにしています。脚本がまだできていなくても人物設定を先に決めてしまって、俳優部にもキャスティングの時点で「この登場人物は○○のような人間で、××のような人間とのこういった物語を描きたい」ということを伝えていますね。そこから徐々に脚本を人物設定に合うように詰めていく、というつくり方をすることが多いです。

──『おどりなき夏』はコロナ禍が重要な要素として描かれているように思えます。

『おどりなき夏』の舞台は岐阜県の郡上八幡という土地なのですが、もともとこの土地で映画をつくりたいという気持ちが強くありました。プロデューサーとも長くやり取りして長編映画の企画を立てていたのですが、『郡上踊り』という3日3晩、夜通し踊り続けるお祭りがコロナで中止になり、企画もストップしてしまったのです。
地元のお祭りが中止になって現地の人も不安がっている中、何かできることがないだろうかと思ったところから、『おどりなき夏』の制作がスタートしました。お祭りは精神的な拠り所として必要なもので、いずれは開催できるようになって欲しいという思いを物語の中で描こうとしました。

──コロナ禍での撮影は苦労されたのでしょうか?

特にやりにくさのようなものは感じませんでした。現地の観光課の方がとても熱心に協力してくださって、現場を取り仕切ってくれたことも大きかったと思います。コロナの影響で観光客が減っていた時期でしたが、それを逆手にとって、普段であれば人が絶えない観光名所でも撮影することができました。

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『おどりなき夏』(5分28秒)の視聴はこちらをクリック >> 『おどりなき夏

ストーリー

男は故郷へ帰省した。久し振りに顔を見る妹は、母の様子を困ったように教えてくれた。とうとうボケてしまったらしい。どうも、死んだはずの父が見えると周りに言っているようだ。そこは、岐阜県にある“やなか水のこみち”。毎年、盆になれば祭りで賑わうこの路地も、今年はいつもと違う。歴史のある祭り “郡上(ぐじょう)おどり”が、中止になったのだ。ひと際静かなその路地で、兄妹は「普通」ではない人と出会う。祭り囃子の聞こえぬ静かな盆、“命”の物語。

──主人公が父親に向かって大声で叫ぶシーンは、これまで静かに展開していたこととのギャップもあって、とても印象に残るシーンでした。どういった演出意図だったのでしょう?

この主人公のキャラクターは、もともと家族との関係性が良いわけでもなく、父親ときちんとした関係を築けずに今日にいたっているという背景があります。ただなんとなく生きてきて、地元というものもただそこにあればいいと思っていた。そんなところにある出来事が起きて、それがきっかけで一瞬だけ素直になれる、というシーンです。脚本には「橋の向こう側にいる父親に叫ぶ」と書いただけで、あとは撮影現場で演出しました。自分では狙い通りの良いシーンになったかな、と思います。

──『おどりなき夏』はタイトルバックも印象的でした。鯨岡監督の作品は劇場でも上映した『Kay』など、タイトルバックがとても印象的ですね。

僕がドラマの監督をやっていることもあり、キャッチとしてのタイトルの印象はすごく大切にしています。『おどりなき夏』では、僕が好きな台湾ニューシネマを見た時に感じる、ふるさと的な感覚からタイトルの着想を得ました。

映画館で上映された『Kay』『終点は海』について

──『Kay』と『終点は海』は映画館で上映されたとのことですが、どういった経緯だったのでしょうか?

もともと2020年の4月に『Kay』が上映されるはずだったのですが、コロナによる緊急事態宣言が出て、白紙になりました。
緊急事態宣言から1年ほど経って、だんだん映画の撮影が再開され始めた頃、「この状況でもできることをやろう」と思い、『俳優は2人まで、スタッフも4~5人に抑えて』というルールを自分たちでつくって『終点は海』を制作しました。コロナが開けてから、下北沢トリウッドさんをはじめとした全国の単館系映画館が2作品を併映してくれることになって、各地で半年に渡り上映してもらいました。

──映画館で上映されるというのは、特別な気持ちになりましたか?

そうですね、やはり映画館ならではの没入体験は大切だと思いました。『Kay』はベースの音声を5.1chにしているのですが、劇中の時代に合わせて部分的にモノラルを使用しています。ネットなどで見る分には同じように聞こえると思いますが、映画館の音響環境で見ると違いがはっきりわかります。そういった無意識の音響体験というのは本当にかけがえのないもので、実際に映画館で見た時の方が俄然よかったと言ってくれる人も多かったです。

──『Kay』は映像の質感がとても映画的で、レトロな雰囲気を感じました。どういった撮影方法を取られたのでしょう?

『Kay』はシネマカメラで撮影してもらい、カラーグレーディングは自分で行いました。作品のテーマカラーを黄色としているのですが、どういった色味の映像にするかギリギリまで悩みました。『Kay』は画面に粒子の残るフィルム的な質感の方が伝わりやすいと思ったので、そういった映像づくりを試みた結果、レトロな雰囲気の映像になりました。。

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──『終点は海』も『Kay』と併映で上映されましたね。母親役の洞口依子さんが海岸に横たわるシーンで、波の音を使った演出が印象的でした。

洞口さんに海岸に寝転がってもらったまま50分くらい長回しして、実際に日が暮れる瞬間を撮影しました。その時、洞口さんが「砂浜に耳をつけると、だんだん波の音が大きく聞こえてきて、それがすごく心地よかった」とおっしゃっていて、それをもとに波の音にリンクしていくような音響の演出を試みました。

──『Kay』『終点は海』『おどりなき夏』の3作品とも親子関係をテーマにした作品ですが、何か鯨岡監督のこだわりがあるのでしょうか?

ここ3年間ほどは、僕自身の生活環境も大きく変わり、その影響か親子関係を描いた作品が多くなっていきました。
『Kay』では小沢和義さんや片岡礼子さん、『終点は海』では洞口依子さんといった親年代の俳優さんと一緒に仕事をしたのですが、僕が想像もしていなかった人生観や演技観を知れると、すごく楽しいし勉強になります。自主映画をつくるということは、僕自身の成長の場でもあると思っているので、意図的に自分とは違う年代の俳優さんを起用したい、という思いもありますね。

『Second Career』『FROM TOKYO TO TOKYO』でのセリフのない映画の演出術

──『Second Career』『FROM TOKYO TO TOKYO』といったセリフのない映画もつくられていますが、制作するにあたってどういった意図があるのでしょうか?

ドラマの界隈で演出業をしていると、「このセリフはどういうニュアンスで言うのだろう」ということを意識して、セリフ中心に演出することがあります。その一方で、一瞬の表情から生まれる雰囲気といった、偶然性のようなものも大切にしたいという思いがあります。『FROM TOKYO TO TOKYO』では、俳優と一緒に現場でディスカッションを重ねていって、「よし、じゃあとりあえずやってみよう」とカメラを回し始める、というような撮影の仕方をしました。自分の中にある固定概念をあえて外して、俳優も含めてみんなで一緒に作品の雰囲気づくりをしていく中で、その一瞬でしか生まれない表情を見つけたい。だからこそ、あえてセリフのない映画に挑戦している、というところはあります。

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『Second Career』(10分)の視聴はこちらをクリック >> 『Second Career』

ストーリー

日常生活のほとんど全てをその練習に捧げ、陸上に全てを懸ける男。彼はとある企業の実業団に所属し、来る日もくる日もひたすらに走り続けた。しかしある日、一本の電話が。青天の霹靂ともいうべきその知らせに立ち尽くす男、そして生活は一変していく……。これから新しい道を進む人、志半ばつまずいてしまった人に送りたい、人生の「走り方」。

──セリフのない映画の演出はかなり難しいように感じます。何か工夫されていることなどはあるのでしょうか?

『FROM TOKYO TO TOKYO』はどちらかといえばミュージックビデオ的なアプローチをしているのですが、『Second Career』はメロディーのない、渋いドラムがベースの音楽があって、そこに合わせて主人公のランナーの感情の機微を描いています。主演の齊藤広大さんは実際にマラソンをやられている本物のアスリートなので、主人公の感情をとても深く理解してくれていて、走っているシーンなどでは本当に緊迫した画が撮れました。力強い画を映すことで、セリフが無くても最後まで緊張が途切れないようにしています。

音楽活動から映像制作への道へ

──鯨岡監督のキャリアについて伺いたいのですが、いつ頃から映像を職業にしようと考え始めたのでしょうか?

僕は高校からずっとバンドをやっていて、高校3年生ぐらいのころから映画音楽に強く興味を抱くようになって、大学で映画サークルに入りました。最初は映画音楽をやってみたいと思っていたのですが、サークルでは映画制作自体は多くなかったので、結局自分で映像作品をつくるようになりました。大学2年生ぐらいの時に、撮影した作品が『誰かの、ノスタルジア』です。
それからも自分で50分くらいの中編映画を撮影して、音楽をつけたりしているうちに、映像演出の面白さに目覚めました。演出って本当に飽きなくて、ずっと没入していられます。そこまで夢中になれるのであれば、映像制作の道に行ってもいいのかもしれないな、と思って現在にいたります。

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『誰かの、ノスタルジア』(9分21秒)の視聴はこちらをクリック >> 『誰かの、ノスタルジア』

ストーリー

高校の音楽室で、毎日のようにピアノの練習をしていたふたりの女子生徒、ワダとササキ。ワダはプロのピアニストになること、ササキは故郷で音楽喫茶を開くことを夢見て、互いにそれぞれの道へと進んでいった。
やがて月日は経ち、大人になったワダは高校の同窓会に出席し、かつてのササキとの日々に想いを馳せる。
美しいピアノの音色にのせて大人になることの切なさを描いた、ノスタルジックな短編映画。

──まずは音楽からのスタートだったのですね。その後、『FROM TOKYO TO TOKYO』で初めて賞を取ることとなりましたが、受賞の時はどんな気持ちでしたか?

もちろん受賞できたことは嬉しかったですが、映画祭の大きなスクリーンで、たくさんの観客の前で上映してもらったことが一番嬉しかったです。観客みんなが固唾をのんで見守ってくれているのがとても印象的で。数分の短い作品でも上映してくれる環境がある、ということに感動しました。

──『Kay』は海外の映画祭でも評価を受けましたが、日本で評価されるのとはまた違った思いがあるのでしょうか?

『Kay』は実際に日本で起きうる一つの小さな物語である、というところをテーマにした作品ですが、もともと『海外の人に日本の物語がどのように評価されるのか見てみたい』という思いが企画の発足時からありました。だから戦略的というほどではないですが、居酒屋の提灯や地下のライブハウスなど、海外の方が興味を抱きそうな空間の画を意図的に入れています。そしたら思っていたよりも反響が集まって、狙い通りではあるのですが正直びっくりしました。

──演出において特に気をつけていることや、普段から心がけていることはありますか?

作品ごとに演出を変えることもありますが、一貫して大切にしているのは俳優ときちんと話すことです。監督によってはあえて情報を多く伝えないこともありますが、僕の場合は登場人物の生い立ちとか、細かい設定を伝えるようにしています。たとえば登場人物同士が喧嘩するシーンで「このキャラクターの関係性だと、こういった喧嘩にはならないよね」というような根幹の部分を俳優と共有する。これはどの作品でも共通して行っていました。

──台湾映画が好きというお話もありましたが、影響を受けた映画監督等はいらっしゃいますか?

台湾ニューシネマでいうと侯孝賢。あとはメキシコ映画出身のスリーアミーゴスがすごく好きです。アルフォンソ・キュアロンの『ROMA/ローマ』は本当に素晴らしい作品だなと思います。あとは、意外とロジックをガチガチに固めながらもドラマを描く、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。特に初期の作品が好きですね。

インディーズ映画を撮る理由「常に新しいことに挑戦したい」

──最後に、インディーズ映画について伺いたいと思います。現状、収益化が困難な状況の中、それでもインディーズ映画をつくろうという気持ちの源は何なのでしょうか?

僕は商業の場で演出する時も、何かしら1個は新しいことをすると決めていますが、インディーズ・自主映画ではクライアントがいない分とことん自由です。もっと違うアプローチを試してみたいし、常に新しいことに挑戦していきたい。例えば仕事ですごくセリフの多いドラマを撮った後に、自主でセリフが一切ない作品をつくったりしています。仕事で手持ちでの撮影がメインの作品を作った後に、『おどりなき夏』のような三脚を立てしっかり撮る撮影がメインの作品をあえてつくったりしています。演出が偏らないようにバランスを取りつつ、幅を広げていくというのが理想で、そのための一つの方法としてインディーズ・自主映画を制作しているのかな。僕はそんな風に考えていますね。

──商業でもインディーズでも、今度どのような活動をしていきたいと考えていらっしゃいますか?

あまり商業とインディーズを分けて考えてはいないのです。『おどりなき夏』をつくった時、商業の場で学んできたことを作品に還元できて、そのことで現地の人に喜んでもらえたというのが、自分の中に実感として強く残っていて。自分のつくる映画がどこかの町や人の役に立つ、誰かの心にプラスになるものになっていけたらいいな、と強く思いました。だから今後も映像制作を続けてスキルを身につけて、予算がなくともインディーズ映画をつくり続けていきたいですね。たとえば仲のいい俳優が退屈していたら、「じゃあ一緒になにかやろう」って声をかけたりして。そうやってつくった作品が別の仕事に繋がったりもするので、フットワーク軽くやっていきたいと思います。